プログレってどうなの? 4 ~ わかりません一派~キング・クリムゾン 1
店長日記セレクトサード・イアーの密かな愉しみ~プログレってどうなの? 4
ーわかりません一派~キング・クリムゾン 1ー
以下、友人S、店主K。
S「まずは、わかりません一派とは?」。
K「かいつまんで言うと、別役実が犯罪症候群や犯罪図鑑で提唱した、アンケートにわかりませんていう態度を取る人、または人達・・・・」。
S「例えば、あなたはリンゴが好きですか?っていうアンケートがあったとして、『はい』を選ぶのがはい一派、『いいえ』を選ぶのがいいえ一派、どちらも選ばない、つまり答えないのがわかりません一派だよね、基本的には」。
K「うん、『どちらでもない』とか『わからない』という項目があったとしても、それも選ばない。アンケートに答えること自体をよしとしない態度なのだけど、『うるせえな、そんなこと知るか、関係ねーよ』みたいな、バカヤロー的でなげやりな態度とは違う」。
S「別役実は、『少女が、はにかみながらわかんない~って言うようなものに似ている』って・・・・」。
K「上手い表現だよね、はぐらかすとも違うんだけど。実際にはリンゴが好きかも知れないし、嫌いかもしれない、またはどちらでもないかも知れない。でも、アンケートに答えることによってそれが固定されてしまうことを嫌うとでもいうか、質問者側の敷こうとするレールに乗らないという感じかな」。
S「本当にわかりませんなのではなくてね。外側から何らかのレッテルを貼られたり、何らかのモノとして認知されることをいやがる」。
K「同時に、その答えが内側から自分を縛るのもいやがる。自己の外側に対しても内側に対しても、なるべく相対的でいたいんだよね、自由であろうとする・・・・」。
S「うん、リンゴが好きまたは嫌い、どちらでもないと答えてしまうことによって、そういう人として扱われたり、自らそういう人として振る舞ってしまうような状態を嫌う・・・・お互いに入れ替え可能なはい一派といいえ一派からすると、不気味な存在だよね、集団にならないし」。
K「そうね、政権交代とか革命って、大抵ははい一派といいえ一派が入れ替わることだからね。わかりません一派はそのままだとレッテル貼りずらいというか、正体不明になっちゃうから規定出来ない。つまり入れ替え不能。一見正体不明集団として括れそうなんだけど、相対化しようとする性格上、集団化しないというか徒党を組めないから、集まったとしても10人前後が限界で、結局それも個が集まっているという状態にしかならない」。
S「ほとんどの場合長くは続かないしな」。
K「うん、そうなんだけど、それも絶対とはいえない。例えば、今で言うと、アサンジのウィキリークスはいいえ一派としてレッテル貼られつつあるし、本人達の行動もいいえ一派的様相を呈してきてる。でも、アノニマスはわかりません一派だよね。まずもって正体不明だし、ハッキングする時の行動原理とか目的がよくわからないし・・・・でもけっこう長く続いている」。
S「ロックに応用すると、サイケと親和性が高い・・・・」。
K「そうね、サイケは、最初はわかりません一派として登場する。いいえ一派ではなくて」。
S「うん、大まかな括りになっちゃうけど、はい一派としてヒット狙いのメインストリームがあって、それに対するアンチ・テーゼとしてのいいえ一派でもなくて、全くの別物として登場する」。
K「はい一派からみれば、最初はいいえ一派に見えたかもしれないけど、全然違う。ドラッグ体験を音楽で表現するという行為は、ある意味でドラッグを相対化しようとすることだからね」。
S「ただ浸ってるだけでは表現出来ない。自分の中の暗闇から逃げるだけになっちゃう・・・・」。
K「そうそう、ドラッグやドラッグ体験を真剣に相対化しようとするってことは、それはもうわかりません一派だよね」。
S「そして同時に、はい一派たるメインストリームも相対化することになる・・・・」。
K「うん、思いがけず売れちゃって、はい一派に取り込まれる場合もあるけど」。
S「狂気以降のフロイドだな。だんだん取り込まれて行った」。
K「アニマルズまでは抵抗してたんだけどね。で、その線で行くとクリムゾンはリッパだよ。ある意味未だにわかりません一派だもの」。
S「そうだな、でも、クリムゾンていうよりロバート・フリップじゃないの?」。
K「ああ、そうか、そうだね」。
S「フロイドほどバカ売れはしなかったからかもだけど、それにしてもフリップはブレないよね」。
K「これだけビッグ・ネームになって、本人やバンドが神格化に近い祭り上げられ方しても、頑に相対化し続けようとしてる・・・・」。
S「クリムゾン=私ではない、クリムゾンは化け物のようなものだって言い続けてる。期待されるクリムゾン像のようなものに取り込まれまいとしているな」。
K「それはすごいエネルギーだよね。スターレスは俺の曲だとか言って、ハケットとかとライヴでやっちゃうウェットンなんかとは全然違う。21thセンチュリー・スキゾイド・バンドにも参加しないで、とにかく距離をおこうとする」。
S「ファン・サービスとしては、別にいいんだけどね。でも、それだけになっちゃうと・・・・」。
K「うん、それだけだと懐メロになっちゃう。ウェットンやハケットがライヴでクリムゾンやジェネシスの曲やってくれたら、概ねオーディエンスはうれしいだろうから、需要に応えるってことでのファン・サービスはいいんだけど。それが主たる目的になっちゃうと不健全だよね、演る側も聴く側も」。
S「でも、特に日本のプログレ・リスナーにおける、クリムゾンの神格化はすごいよね。泣く子も黙る的な枕詞でプログレの代表として紹介されて、誰もがひれ伏す王様みたいな扱いになっちゃってる。ファースト、太陽と戦慄、レッド・・・・」。
K「うん、これを聴かないとダメだみたいなプログレの権威になっちゃってる。絶対化ってやつ」。
S「そうそう、絶対的存在。まあ、プログレならおまかせあれっていう、プログレ・マニアを自称する人なら、そりゃあ聴いてないとダメだろうけどね」。
K「はははは、プログレ・マニアを自称するなら、3枚だけじゃなくて全部じゃない?」。
S「そうか、マニアならその3枚じゃ不足だな。でも、絶対化して存在が権威になるってことは・・・・」。
K「はい一派になることだよね」。
S「フリップにはその気がないのに、リスナー側がはい一派にしてしまう・・・・」。
K「ファンならそれでもいいんだよ、きっと。ファンて保守的なものだし、対象と自己を同一化することだから、相対化なんかしてたらファンでいられない」。
S「クリムゾンのファンを自称するなら、クリムゾンは全部好きってことだものな。絶対化して全部許して受け止める・・・・母の愛のようなものだね」。
K「うん、だからファンはそれでいいんだよ。でも、不健全なのは、クリムゾンに限らないんだけど、何やらプログレの権威として固定されちゃって、それならファースト、太陽と戦慄、レッドの3枚か、そのうちのどれかをとりあえず聴いとけばいいんじゃないのっていう風潮が、ファン以外のリスナーの間に生まれちゃうこと・・・・」。
S「フロイドの狂気とかイエスの危機みたいな感じね。代表作っていう枠組みで囲い込んじゃって、ガイド本とかであまり褒められてない、他のアルバムが無視されていく」。
K「ははは、エンクロージャー、排他性への第一歩ね。クリムゾンて、アルバムを制作する度に前作を相対化するっていうやり方でしょう、しかも本質はインプロ。だから基本的にサイケで、アルバム毎にサウンドが違うから・・・・」。
S「つまみ食いでどうにかなる相手ではないと」。
K「うん、聴いてみてつまんなかったらやめればいいけど、何かしら引っ掛かるものを感じたなら、それはもうどんどん聴いていくしかないよね」。
S「最初から自分にとってのアタリだけを引こうとせずにね。どうしたってその3枚だけでは済まない。でも、例えばエピタフや宮殿のような曲を期待して聴いていっても・・・・」。
K「そりゃあ大抵は見つからないよね、アルバム毎にサウンドが違うんだから。淡白にならずに、じっくり聴いていくタイプのものだとしか言い様がないんだよね。その時はピンとこなくても、数年後には自分の好みが変わってるかも知れないんだしさ」。
S「あぁ、そういうことは一般的にもあるよね、わりと。ましてクリムゾンは裾野が広いし深いものね。でも、ファーストとセカンドはわりと相似的なんじゃない?、あとディシプリン以降も・・・・」。
長くなったので、続きは次回へ。
2013-10-23 12:57