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プログレってどうなの? 2 ~ サイケの概観

店長日記セレクト
サード・イアーの密かな愉しみ~プログレってどうなの? 2

ーサイケの亜流としてのプログレ~サイケの概観ー

そもそもプログレとは、サイケの亜流の1つとして発生したムーヴメントで、本来的にサイケとは切り離せない関係にある。その意味ではハード・ロックも同様で、プログレとハード・ロックはサイケを母としてほぼ同時期に生まれた双子のようなものだ・・・・つまり、プログレやハード・ロックに言及するにあたり、サイケはまず避けて通れない。なので前回の続きの前提として、まずはサイケというものを少し齧っておきたい。

では、サイケとはいったいどのようなものか?。
以下、友人S、店主K。


K「サイケは面倒くさいね、簡単にはいかない」。

S「そうだな、まだ死んでないしね」。

K「うん、サイケは死なないね、世の中におかしなことや矛盾があって、自分なりにそれに抗う連中がいて、そしてドラッグがある限りは・・・・」。

S「おかしなことや矛盾て?」。

K「それは、例えば環境汚染、自然破壊、人種差別、貧富の拡大、戦争とかじゃないかな」。

S「60年代だと、キング牧師やベトナム戦争・・・・」。

K「そう、ドラッグだけだと自己完結的な内向きの逃避になっちゃう場合が多い。よく言えば内省的ってやつね、悪く言えば怠慢的ヒキコモリ。でも当時、ベトナム戦争や人種差別という判りやすい『社会の矛盾』てやつが絡んだことで、ヒッピーとドラッグの存在が社会的に意味をもっちゃった・・・・」。

S「つまり、内向きで閉鎖的な状態を他人と共有出来るコミューンの誕生」。

K「うん、世の中に馴染めないとか、何かかったるいとかつまんないとか、個人のアンニュイな感情や漠然とした不満、不安は他人と共有出来る。あくまでそれは擬似共有であっても、共有感覚はリアルに持てるし1人で抱えているより楽になれる。きっかけは音楽の趣味が一緒とか、好きな食べ物が同じとか何でもいい。人種差別やベトナム戦争への嫌悪感や怒りも、十分過ぎる共鳴材料になるよね」。

S「しかも、当時は社会・体制側がそういうものとしてヒッピー達のコミューンを認知した。例えば反戦・平和運動としてレッテルを貼ったんだよね」。

K「基本的に反体制的なものとしてね。勿論全てではないし、ただの不良コミューンもあったろうし、コミューンを形成しない少数派もいたと思うよ。でも、そんなことは体制側の知ったこっちゃなかっただろうし、ともかくも『はい一派』としては、『わかりません一派』でいられると対応出来ないから、全部纏めて何とかして『いいえ一派』にしちゃうしかないものね」。

S「出たな別役実。体制側『はい一派』、反体制側『いいえ一派』、どちらでもない『わかりません一派』の図式・・・・」。

K「うん、『わかりません一派』はロックにも応用出来る面白い概念だけど、長くなっちゃうからまた今度にしよう。で、社会的に認知されたコミューンは大抵の場合スポンティニアスに成長して、外敵がはっきりした段階で何かしらの社会的意図や主張を持った集団に変わってしまう。そして、そういう集団はすべからく閉鎖的で排他的だよね」。

S「そうなると、もうコミューンとかカウンター・カルチャー云々じゃなくて、政治運動とか社会運動だな」。

K「卵が先か鶏が先かてなところはあるけどね。そんな情勢の中で、政治色や宗教色に染まってカルチャー的には窮屈になっていった集団以外に、そうならなかったコミューンや少数派ヒッピーも多分少なからずいた。スパっと線を引けるものではないけどね。マリファナやりながら何となく戦争反対!、差別撤廃!っていってたヒッピーは大勢いたろうから。で、その流れはアメリカだけでなくイギリスやヨーロッパ、日本なんかにも波及していって、そこでそれぞれのお国柄や気質とハイブリットされ、各国それぞれのいわゆるカウンター・カルチャーってやつが若者文化として形成される・・・・」。

S「なるほど。曖昧な境界線の中で、ドラッグ&不良コミューンのようなものを主たる触媒として、カウンター・カルチャーが育まれたと考えられるわけだな。ケルアックやギンズバーグに共鳴するビートニクかぶれも沢山いたろうし、若いヒッピー連中はけっこうハクスリーの知覚の扉やすばらしい新世界なんかも読んでたみたいね。ドアーズは知覚の扉のタイトルだしね、ジム・モリソンは確実に影響されてたな」。

K「あと、LSD博士ティモシー・リアリー、それからウィリアム・バロウズ・・・・」。

S「あぁ、そうだね、忘れちゃいけない、元祖マッド・サイエンティストとソフト・マシーンおじさん。ブッ飛んでるよね2人とも」。

K「うん、リアリーは仏教の修行僧が一生かけて到達するような段階にLSDで瞬時に行けるって本気で言ってた。面倒な修行なんかしなくとも悟りを開けますよって。バロウズは、ソフト・マシーンも裸のランチも、これはもうシュール過ぎて全然わからんよ。まあ、めくるめく悪夢の連続てな感じなんだけど、部分的には面白くても全体が繋がらない。読み手が未熟なだけかも知れないけどね」。

S「ドラッグによる幻覚世界を文章化したものだからな」。

K「だから、読むものじゃなくて感じるものなのかも・・・・」。

S「感じるね・・・・そうかもな。でも、彼等が提唱したのは、つまるところドラッグによる自己解放でしょう?、上手くいくとは限らないけど」。

K「それは個人差もあるだろうし、ドラッグの種類によっても違ってくるんじゃない?。ハクスリーやリアリーは基本的にLSD推奨なんだろうけど、それをやれば誰でも自己解放がお手軽に出来るなんて都合のいいしろものではなかったんじゃないかな。イリーガルだということ以外にも多分リスクはあって、向いてない精神状態だともっていかれちゃって帰ってこれなくなったりする場合もあったろうし、元来ハマらないタイプの人だっているだろうしね」。

S「誰しもが神さまに会えるとは限らない・・・・」。

K「そうそう、会えるとは限らないし、会いたいとも限らない・・・・」。

S「わははは、確かによけいなお世話だな、何にせよ神さまを強制されちゃかなわんわ。で、つまるところサイケデリックとは、要はドラッグ体験を何らかの手段で表現してみせる試みだよね?」。

K「そうだね、出発点はそこ。音楽、詩、文学、絵、映画、舞踏などなど、手段は色々ある」。

S「ここで言うサイケデリック・サウンド、サイケ・ミュージックは、それを音楽で展開したものということだな」。

K「うん、概ねそんなところだけど、でも、ナチュラル・ハイっていうか、元々ドラッグの必要のない人や、使わなくても何がしかサイケな状態になれたり、インナー・スペースの暗闇と対峙出来る人もいるんじゃない?」。

S「そうか、そういうパターンもあるね。表現や創造行為とは、すべからく自分のインナー・スペースの暗闇と対峙するものだからな。ドラッグ抜きでやってる人も確かにいるね」。

K「だからサイケは面倒くさい・・・・どうであれまずドラッグ抜きでは語れないし、かといってドラッグなしのタイプもいる・・・・ともかくも多様だよね」。

S「ジャンルとして形骸化した、スタイルとしてのポップ・サイケもあるしな。器がデカいというか、多様性がサイケの本質だね、本当に面倒くさいわ」。

K「でも、それゆえにサイケは死なないんだよね、きっと。音楽の1ジャンルっていうより、表現や創作に対する姿勢とか態度そのものだったりもするから」。

S「サイケのマナーでちゃんとやっていれば、ジャンルの枠や時代は関係ない、全部サイケになる・・・・」。

K「そうそう、面白ければ間違っていてもよい、何でもあり、でもちゃんとやりましょうってやつ」。

S「そこはミソだね、何でもありだけど何でもありじゃない・・・・」。


思いがけず脱線したりもして、長くなってしまったが、これを踏まえてさらに次回へ・・・・。

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