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プログレってどうなの? 1 ~ 消えゆくインプロ

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サード・イアーの密かな愉しみ~プログレってどうなの? 1

ー消えゆくインプロー

先日友人と話していた時に、「プログレってどうなの、もう死んでるんじゃない?」なんて話題が出た。

なるほど、では『プログレはすでに死んでいる』として、ならばそれは何時頃なのか?。
以下、友人S、店主Kとする。

S「ELPのラヴ・ビーチ。日焼けしたメンバーがアロハ・シャツ着て笑ってるんだぜ、内容もELPである必然を感じられないサウンドだったし、プログレの終焉と思ったね」。

K「うん、確かに・・・・イエスのトーマト、ジェネシスのそして3人が残った、フロイドのウォール、そしてラヴ・ビーチ、全て78,79年辺り。判りやすいポップス指向への明らかなシフト・チェンジがあったね。でも、実はもっと前なんじゃないかな」。

S「というと?」。

K「例えば、フロイドなら狂気。サイケの亜流としてのプログレは雲の影までだよ。狂気以降には、それまであったアングラでイモっぽいサイケ感がないもの。洗練されたという言い方もあるけど、単なる洗練というより方向性自体が違っている感じ。リリース以前の狂気の曲をやっているライヴ音源を聴くと、まだサイケなんだよね、ギルモアのギターなんかそんなにメロディアスじゃないし」。

S「それはそうかも、ライヴ音源にはまだ混沌とした妖しさがあるね。そうすると、狂気のレコーディング中に何かが・・・・」。

K「そう、多分ね。もしかしてニック・メイソンがあまり口を出さなくなったんじゃないかな。ウォーターズのワンマンかなんかは判らないけど、少なくとも4人の共同作業的部分が大幅に縮小した・・・・」。

S「誰かが持って来たネタを、皆でセッションして練ったりアレンジを皆で考えたりしなくなった」。

K「うん、分業・分担制が強くなって、あまりセッションしなくなったんだよ、きっと。担当が1人でスタジオにこもってあれこれやってることが多い」。

S「なるほど、言えてるかもな。他のバンドは?」。

K「う~ん、それぞれ状況は異なるだろうけど、イエスなんかはプログレだったのは初期2枚で、サード以降はハード・ロックの亜流だしね。クリムゾンは暗黒の世界、というかUSAにも収録された74年6月のUSツアーまでという感じ。このバンドは変遷が大きくて簡単にはいかないけど、リザードからアースバウンドまでの71~72年と、暗黒の世界からUSツアーまでの73~74年と別種のピークが2回ある」。

S「わはははは、イエスはサードですでにプログレじゃないと。フリップは、60年代末のある一時期だけミュージシャンへの魔法の扉が開いていたと言っていたけど・・・・」。

K「フリップの発言の真意は知る由もないけど、セールスを度外視して作品を作ってもよいという、ミュージシャンにとって稀なよい時代が一時期あったということかな。・・・作品を制作してそれを売る為にツアーする日々は、ともかくも消耗の一言である。もし君にはっきりとしたやりたい音楽のヴィジョンがあり、それがセールスに結びつきづらいものならば、プロになることは勧めない、アマチュアのままでやりなさい・・・というようなことも言ってた」。

S「ツアーに疲れてバンドを辞めるパターンは多いな。連日インプロを交えて真剣に演奏してたら、確かにシンドくなるよね。調子悪くて出来のよくない日だってあるだろうし、決まったアレンジのルーティンだったら飽きるだろうし。切ないが深い話だね」。

K「そうそう、ライヴでインプロをやらなくなっていくんだよ、多分作曲段階でも。プログレが死んだとするなら、それが大きな要因の1つなんじゃないかな、一概には言えないけど・・・・」。

S「あ~、サイケの亜流としてのプログレの死だね、少なくともバンド感の死だ。とすると、時期を特定するのは難しいのか?」。

K「うん、何時頃だとクッキリとはいかないかもね。ただ、いずれにせよ、プログレへのアンチ・テーゼとして75年にセックス・ピストルズが登場した時点で、プログレを『壊すべきジャンル』として認知する連中が現われたということだから、プログレはメインストリームの1つとして定着してしまっていたわけで、ならばその時点でサイケの亜流としてのプログレは死んでるよね」。

S「様式が洗練されて、ジャンルとして定着したと同時に形骸化してしまったということか・・・・」。


・・・・こんな事は、興味のない人にとっては全くもってどうでもよいだろうが、この文章を読む人は多少なりともプログレに興味があるとして、また、巷のピンク・フロイドのファンにおいては、狂気以前より以降が好きな人が多分圧倒的に多いだろうし、キング・クリムゾンのピークに関して違和感があったり、イエスのサード以降をプログレの典型とする人も多いだろうという気もするので、補足も兼ねて次回に続く。

プログレってどうなの? 2 ~ サイケの概観

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サード・イアーの密かな愉しみ~プログレってどうなの? 2

ーサイケの亜流としてのプログレ~サイケの概観ー

そもそもプログレとは、サイケの亜流の1つとして発生したムーヴメントで、本来的にサイケとは切り離せない関係にある。その意味ではハード・ロックも同様で、プログレとハード・ロックはサイケを母としてほぼ同時期に生まれた双子のようなものだ・・・・つまり、プログレやハード・ロックに言及するにあたり、サイケはまず避けて通れない。なので前回の続きの前提として、まずはサイケというものを少し齧っておきたい。

では、サイケとはいったいどのようなものか?。
以下、友人S、店主K。


K「サイケは面倒くさいね、簡単にはいかない」。

S「そうだな、まだ死んでないしね」。

K「うん、サイケは死なないね、世の中におかしなことや矛盾があって、自分なりにそれに抗う連中がいて、そしてドラッグがある限りは・・・・」。

S「おかしなことや矛盾て?」。

K「それは、例えば環境汚染、自然破壊、人種差別、貧富の拡大、戦争とかじゃないかな」。

S「60年代だと、キング牧師やベトナム戦争・・・・」。

K「そう、ドラッグだけだと自己完結的な内向きの逃避になっちゃう場合が多い。よく言えば内省的ってやつね、悪く言えば怠慢的ヒキコモリ。でも当時、ベトナム戦争や人種差別という判りやすい『社会の矛盾』てやつが絡んだことで、ヒッピーとドラッグの存在が社会的に意味をもっちゃった・・・・」。

S「つまり、内向きで閉鎖的な状態を他人と共有出来るコミューンの誕生」。

K「うん、世の中に馴染めないとか、何かかったるいとかつまんないとか、個人のアンニュイな感情や漠然とした不満、不安は他人と共有出来る。あくまでそれは擬似共有であっても、共有感覚はリアルに持てるし1人で抱えているより楽になれる。きっかけは音楽の趣味が一緒とか、好きな食べ物が同じとか何でもいい。人種差別やベトナム戦争への嫌悪感や怒りも、十分過ぎる共鳴材料になるよね」。

S「しかも、当時は社会・体制側がそういうものとしてヒッピー達のコミューンを認知した。例えば反戦・平和運動としてレッテルを貼ったんだよね」。

K「基本的に反体制的なものとしてね。勿論全てではないし、ただの不良コミューンもあったろうし、コミューンを形成しない少数派もいたと思うよ。でも、そんなことは体制側の知ったこっちゃなかっただろうし、ともかくも『はい一派』としては、『わかりません一派』でいられると対応出来ないから、全部纏めて何とかして『いいえ一派』にしちゃうしかないものね」。

S「出たな別役実。体制側『はい一派』、反体制側『いいえ一派』、どちらでもない『わかりません一派』の図式・・・・」。

K「うん、『わかりません一派』はロックにも応用出来る面白い概念だけど、長くなっちゃうからまた今度にしよう。で、社会的に認知されたコミューンは大抵の場合スポンティニアスに成長して、外敵がはっきりした段階で何かしらの社会的意図や主張を持った集団に変わってしまう。そして、そういう集団はすべからく閉鎖的で排他的だよね」。

S「そうなると、もうコミューンとかカウンター・カルチャー云々じゃなくて、政治運動とか社会運動だな」。

K「卵が先か鶏が先かてなところはあるけどね。そんな情勢の中で、政治色や宗教色に染まってカルチャー的には窮屈になっていった集団以外に、そうならなかったコミューンや少数派ヒッピーも多分少なからずいた。スパっと線を引けるものではないけどね。マリファナやりながら何となく戦争反対!、差別撤廃!っていってたヒッピーは大勢いたろうから。で、その流れはアメリカだけでなくイギリスやヨーロッパ、日本なんかにも波及していって、そこでそれぞれのお国柄や気質とハイブリットされ、各国それぞれのいわゆるカウンター・カルチャーってやつが若者文化として形成される・・・・」。

S「なるほど。曖昧な境界線の中で、ドラッグ&不良コミューンのようなものを主たる触媒として、カウンター・カルチャーが育まれたと考えられるわけだな。ケルアックやギンズバーグに共鳴するビートニクかぶれも沢山いたろうし、若いヒッピー連中はけっこうハクスリーの知覚の扉やすばらしい新世界なんかも読んでたみたいね。ドアーズは知覚の扉のタイトルだしね、ジム・モリソンは確実に影響されてたな」。

K「あと、LSD博士ティモシー・リアリー、それからウィリアム・バロウズ・・・・」。

S「あぁ、そうだね、忘れちゃいけない、元祖マッド・サイエンティストとソフト・マシーンおじさん。ブッ飛んでるよね2人とも」。

K「うん、リアリーは仏教の修行僧が一生かけて到達するような段階にLSDで瞬時に行けるって本気で言ってた。面倒な修行なんかしなくとも悟りを開けますよって。バロウズは、ソフト・マシーンも裸のランチも、これはもうシュール過ぎて全然わからんよ。まあ、めくるめく悪夢の連続てな感じなんだけど、部分的には面白くても全体が繋がらない。読み手が未熟なだけかも知れないけどね」。

S「ドラッグによる幻覚世界を文章化したものだからな」。

K「だから、読むものじゃなくて感じるものなのかも・・・・」。

S「感じるね・・・・そうかもな。でも、彼等が提唱したのは、つまるところドラッグによる自己解放でしょう?、上手くいくとは限らないけど」。

K「それは個人差もあるだろうし、ドラッグの種類によっても違ってくるんじゃない?。ハクスリーやリアリーは基本的にLSD推奨なんだろうけど、それをやれば誰でも自己解放がお手軽に出来るなんて都合のいいしろものではなかったんじゃないかな。イリーガルだということ以外にも多分リスクはあって、向いてない精神状態だともっていかれちゃって帰ってこれなくなったりする場合もあったろうし、元来ハマらないタイプの人だっているだろうしね」。

S「誰しもが神さまに会えるとは限らない・・・・」。

K「そうそう、会えるとは限らないし、会いたいとも限らない・・・・」。

S「わははは、確かによけいなお世話だな、何にせよ神さまを強制されちゃかなわんわ。で、つまるところサイケデリックとは、要はドラッグ体験を何らかの手段で表現してみせる試みだよね?」。

K「そうだね、出発点はそこ。音楽、詩、文学、絵、映画、舞踏などなど、手段は色々ある」。

S「ここで言うサイケデリック・サウンド、サイケ・ミュージックは、それを音楽で展開したものということだな」。

K「うん、概ねそんなところだけど、でも、ナチュラル・ハイっていうか、元々ドラッグの必要のない人や、使わなくても何がしかサイケな状態になれたり、インナー・スペースの暗闇と対峙出来る人もいるんじゃない?」。

S「そうか、そういうパターンもあるね。表現や創造行為とは、すべからく自分のインナー・スペースの暗闇と対峙するものだからな。ドラッグ抜きでやってる人も確かにいるね」。

K「だからサイケは面倒くさい・・・・どうであれまずドラッグ抜きでは語れないし、かといってドラッグなしのタイプもいる・・・・ともかくも多様だよね」。

S「ジャンルとして形骸化した、スタイルとしてのポップ・サイケもあるしな。器がデカいというか、多様性がサイケの本質だね、本当に面倒くさいわ」。

K「でも、それゆえにサイケは死なないんだよね、きっと。音楽の1ジャンルっていうより、表現や創作に対する姿勢とか態度そのものだったりもするから」。

S「サイケのマナーでちゃんとやっていれば、ジャンルの枠や時代は関係ない、全部サイケになる・・・・」。

K「そうそう、面白ければ間違っていてもよい、何でもあり、でもちゃんとやりましょうってやつ」。

S「そこはミソだね、何でもありだけど何でもありじゃない・・・・」。


思いがけず脱線したりもして、長くなってしまったが、これを踏まえてさらに次回へ・・・・。

プログレってどうなの? 3 ~ 面白ければ間違っていてもよい~ピンク・フロイド

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サード・イアーの密かな愉しみ~プログレってどうなの? 3

ー面白ければ間違っていてもよい~ピンク・フロイドー

前回の、『サイケ・ミュージックとは、ドラッグ体験を音楽で表現してみせる試みに始まり、面白ければ間違っていてもよいという精神にのっとって、表現・創作活動を行うものとする。その場合、必ずしもドラッグを必要条件としない』に基づいて、第1回のフォローに戻ってみる。まずはピンク・フロイド。
以下、友人S、店主K。 


S「面白ければ間違っていてもよいという精神にのっとって、ちゃんと音楽に向き合うという意味では、プログレも同じだよね」。

K「そうね、演奏する側も聴く側も、お互いに相互作用する」。

S「より沢山売れる為のパターンや形を模索して、そこに収斂していくポップスとは根本的に違う・・・・別にポップス批判ではないけど」。

K「うん、ポップスは、それはそれでアリだよね、元々性質が違うものだからね。で、だからある程度以上売れちゃうと、諸々の大人の事情ってやつでパターンの収斂にならざる得ないというか、バンド側の音楽性が優先しにくくなっていく」。

S「フロイドが狂気以降に辿った道なのか?」。

K「う~ん、それで言うならウォール以降だろうな。狂気から制作手法や方向性が変わったのは明らかなのだけど、別に最初から売ることを最優先して考えてたわけではないだろうし、あんなに売れるとも思ってなかったんじゃないかな」。

S「でも、ウォーターズ主導になったのは確かだよね。ポンペイでもウォーターズが1人でシコシコやってたり、ギルモアにダメ出しするシーンがけっこう挿入されてたもの。炎のようこそマシーンへも、ほとんどウォーターズが1人で作ってる」。

K「そうだね、逆に虚空のスキャットやクレイジー・ダイアモンド・パート2なんかは、ほとんどライト1人の独壇場。でも、葉巻はいかがでは、誰もボーカルがハマらないってんで、スタジオに遊びにきたロイ・ハーパーを使ったりしてる。アニマルズはギルモアが頑張ってたりするし、分業体制が進行しつつも、この3枚の間はフロイド自体も模索してたんじゃないかな・・・・」。

S「ウォーターズは、葉巻はいかがは自分が歌いたかったって今でも思ってるみたいだけど」。

K「ハーパーのボーカルは、ものすごくカッコいいよね、ハマってる」。

S「うん、本人の思いは別として、あれはハーパーで正解と思うよ。でも、ともかくも狂気がバカ売れして、マネーが大ヒット・シングルになって、メンバー達も迷っていた・・・・」。

K「そう、売れるパターンへの収斂が、レーベル側から要求され始める。『ベスト・セラーになりました、全英ナンバー・ワン・シングルになりました、この調子で次はもっといきましょう』って」。

S「わははは、あなた達の肩に数千人の社員の生活がかかってますってやつね、すごいプレッシャーだろうな」。

K「だろうね。でも何か、シド・バレットがいた頃に似てる気がしない?」。

S「あ~、そうかも。『アーノルド・レーンとシー・エミリー・プレイがヒットしました、この調子で次はもっといきましょう』って・・・・」。

K「そうそう、デジャヴ。元々フロイドはブルース・バンドとして始まったわけだけど、初期のヒット・シングルはほとんどシドが書いているし、女の子達にアピールするテクニカラー・サイケ・バンドとしても、人気はシドに集中していた。彼のワンマンに近かったよね」。

S「サウンド的にもセールス的にもシドのバンドだね。何もかもがシド中心で動いていた、彼なしは考えられない。してみると、このバンドはワンマンに親和性がある・・・・」。

K「うん、ははは、そうだね。でも、シドは早々とLSDのオーバードーズでダメになっちゃう。困った状態だったと思うよ、なんせライヴを平気ですっぽかすんだから。ギルモアをサポートで入れるけど、やっぱりシドはダメで、結局シド抜きの路線変更を余儀なくされて・・・・」。

S「その路線変更だけど、シングル・ヒット狙いのテクニカラー・サイケからプログレへということになるのかな?」。

K「いや、まだプログレじゃない。というか、68年にはまだプログレなんてないんだよね、多分。微妙な言い回しになるけど、神秘は、あえて言うなら『その後のプログレへの萌芽を含んだアート・ロック的サウンド』てことになるんじゃないかな」。

S「なるほどアート・ロックね、でも、それならシドがいた頃もアート・ロック的な・・・・」。

K「確かに、夜明けの口笛吹きにもアート・ロック的な要素はあるよ。でも、やっぱり基本はシングル・ヒット狙い路線だよね、両方の要素がある。だけど神秘は明らかにヒット狙い路線じゃない、変なことやるほうを優先してる」。

S「そうだな、スパっと線は引けないな。この時期変なこと優先してるというと、サージェント・ペパーズ、サタニック・マジェスティーズや、クリーム、フー、トラフィック、ブロッサム・トゥズ・・・・」。

K「うん、他にも初期ソフト・マシーン、ファミリー、ジェスロ・タル、アンドウェラズ・ドリーム、ジュライ、カレイドスコープなどなど。そんなテクニカラー・サイケとアート・ロックのゴッタ煮的状況の中に、当時のイギリスではプログレやハード・ロックの萌芽が生まれ、制作サイドもそれがセールスに結びつくと判断して、その方向でやってもいいよってことになった」。

S「フリップの言う魔法の扉が開いたんだな」。

K「そうそう、だから、フロイドとしてはタイミングがよかったというか、ある意味ラッキーだったんだよ。実際には苦労も色々あったろうけど、シドのワンマン制から4人のバンド制への移行が、制作サイドとの摩擦が少ない状態で出来る状況があった」。

S「そしてモア。映画界でもカウンター・カルチャーをモチーフとしたニュー・シネマが隆盛してきて、映画音楽をロック・バンドにっていう追風も吹いてた」。

K「うん、スタンリー・キューブリックの2001年宇宙の旅のサントラをフロイドにっていう話もあったらしい。モアは、シンバライン、グリーン・イズ・ザ・カラー、サイラス・マイナーなど、アシッド・フォーク調の哀しげでいい曲が多いよね」。

S「ナイル・ソングやイビザ・バーもB級ハードでカッコいい」。

K「そうね、神秘から雲の影までのフロイドには、ブルースを基調としながらも、アシッド・フォーク、ハード・ロック、実験音楽の要素が常に混在している」。

S「アシッド・フォークといえば、原子心母のB面とかさ。アランのサイケデリック・ブレックファーストなんていいよね」。

K「うん、すごくいい、台所の音も演奏も心地好い。それはもう、正しくサイケだよ」。

S「お湯わかしてお茶入れて、目玉焼き焼いて、パンにマーマレード塗ってただ食ってるだけなんだけどね。とにかく音が心地好い、アラン・パーソンズは凄いよ」。

K「あと、おせっかいのA面。ピロウ・オブ・ウインズ、フィアレス、サン・トロペの流れはとてもいいよ。シーマスのブルースも含めもう完全に湿った英国の香りアシッド・フォーク」。

S「ああ、フロイドをアシッド・フォークとして聴く人はあんまりいないだろうなぁ。でもその要素は多々ある。基本的に暗いんだよね、サイケの精神に則った暗さ。そして新しい・・・・」。

K「そうそう、72年のブライトンのライヴ映像のユージンなんか、最早ピンク・フロイドという新しいジャンルとしか言い様のないサウンドを演奏してる」。

S「あれはカッコいいね、ほんとカッコいい。それに、エコーズのイントロ」。

K「あぁ、コーラス・オルガン」。

S「あの音はもう発明といっていいよね、素晴らしい」。

K「クレイジー・ダイアモンド・パート1のカラスと螺旋」。

S「イントロのとこね、こういうのが面白いのもフロイドの魅力」。

K「そう、大きな魅力。で、狂気の直前なんだよね、ブライトンもポンペイも。というかライヴではもう狂気の原曲を演奏してたし、レコーディングも始まっていた」。

S「ブライトンもポンペイも、それまでのサウンドと違和感はないよね。前にもいったけど、その時期の狂気の原曲もちゃんとイモっぽい」。

K「うん、72年は大規模なツアーをやってるし、札幌公演もあった2度目の来日もしてる。さらにフランスで雲の影のレコーディングを短期間でやってたり、ポンペイもリリースしたりで、かなり過密スケジュールな感じなんだよ。狂気のレコーディングが分業体制になっていったのは、その辺りにも起因するんじゃないかな」。

S「なるほどな・・・・ウォーターズが提案した、人の内面の狂気という重たいモチーフだけど、忙しくてゆったりセッションしながら詰めていく感じにならなかったと。いいだしっぺのウォーターズが詩は全部書くし、サウンドもどんどんウォーターズ主導になっていったんだな」。

K「多分ね。ライヴでやっていた原曲を、ウォーターズがあれこれいじってどんどん洗練させていった。と同時に、リアルなバンド感や生々しさは消えていく・・・・」。

S「うんうん、バンド感や生々しさは消えていく・・・・あからさまなドラッグ色も。そして、この頃からフロイドはコンセプト好きになるね。コンセプトに基づいて曲やアルバムを作るようになる。狂気、炎、アニマルズ・・・・」。

K「そうね、炎なんて、最初は楽器を使わないっていうコンセプトでやろうとしてた。アルバム全てではなかったのかも知れないけど、少なくともそういう組曲をやろうとしていた」。

S「日用品組曲だな。1.薬缶、2.輪ゴム、3.ナイフとフォーク、4.ワイングラス・・・・」。

K「ふふふふ、それはそれで聴いてみたかったけど・・・・でも、コンセプト好きなのは、フロイドというよりウォーターズだよね、やっぱり。何かある種の神経質な使命感みたいなものを感じる」。

S「そうだな、ウォーターズだ。ソロも含めて、消費社会とか、管理社会とか、音楽業界とか、ファシズムとか戦争とか、テーマ決めて批判してるね」。

K「でも、狂気が成功して、炎もアニマルズも順当に売れて、押しも押されぬビッグネームになっちゃったこともあって、小難しいコンセプトや批判メッセージにも、制作サイドがあまり文句を言わない」。

S「ライヴの赤字はバンド側負担だしな。レコード会社側としては、盤が売れてくれればそれでいい・・・・」。

K「でも、ウォーターズの持ってくるコンセプトに対して、他のメンバー達はどうだったんだろうね?」。

S「売れちゃってるから、結果オーライのところはあったろうけど、正直面倒くささやうざったさはあったんじゃない?」。

K「うん、そんな中でウォーターズが父親への思いを絡めた戦争と管理社会モチーフのテーマを提案する・・・・」。

S「ウォールだね。以前からウォーターズは父親への恨みつらみを愚痴っていて、特にライトは辟易していたらしいね、またオヤジの話かよ、社会批判ももうアニマルズでやったじゃない、そんなのまたマジでやるのって」。

K「一応ディスカッション的なものはあったみたいだけど、ウォーターズがもう構想はほとんど出来てるってんで引かなくて、じゃあ好きにすればってなっちゃった」。

S「完全にウォーターズ主導になっちゃったわけだな。他のメンバーは少しシラケ気味で・・・・」。

K「そして、ウォールは大ヒットして、バンド側が自費を投じた大掛かりな仕掛けのライヴ・ツアーも成功し、映画まで作っちゃった」。

S「ロック・スターとしての世界のピンク・フロイドになるわけだ」。

K「そう、完全にエンターテインメントとしてのフロイド、別にいい悪いの問題ではなくてね。その後、ライトが脱退して、音質をよくしたベスト盤やウォールの続編としてファイナル・カットを制作するけど、でもバンドとしてはもう終わってる・・・・」。

S「確かにもうバンドじゃない。ファイナル・カットはわりと好きだったりするんだけど、もうライトがいないんだよなぁ。最早ウォーターズのソロに近いよね」。

K「うん、で、今度はウォーターズ抜きでウォール路線での再編。鬱以降の作品は、メロディアスでキャッチーで、ギルモアのギターも心地好いけど、ウォーターズの詩もなくなってしまって、もうサイケの精神はどこにも・・・・」。

S「ないね。ライヴは往年の名曲中心の懐メロ的構成だものね。視覚的には正しくサイケで楽しめるけど」。

K「うん、サウンドも楽しめるけど、もうプログレじゃない。面白ければ間違っていてもよいという姿勢はないよね、もう間違ってないし、変なことをやるハミ出す個性もない。ハーパーが『最近のフロイドはなってない、ギルモアはウォーターズという詩人を失って迷子になってる』って言ってた」。

S「迷子・・・・確かに的を射てる。洗練されたけど、ポップネスに個性が埋没してしまった。もう完全にメンストリーム、わかりません一派じゃない」。

K「うん、はい一派・・・・」。

S「そうそう、わかりません一派ロック、定義しとこうよ」。

K「了解、では次回、クリムゾンも絡めて・・・・」。

プログレってどうなの? 4 ~ わかりません一派~キング・クリムゾン 1

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サード・イアーの密かな愉しみ~プログレってどうなの? 4

ーわかりません一派~キング・クリムゾン 1ー

以下、友人S、店主K。 


S「まずは、わかりません一派とは?」。

K「かいつまんで言うと、別役実が犯罪症候群や犯罪図鑑で提唱した、アンケートにわかりませんていう態度を取る人、または人達・・・・」。

S「例えば、あなたはリンゴが好きですか?っていうアンケートがあったとして、『はい』を選ぶのがはい一派、『いいえ』を選ぶのがいいえ一派、どちらも選ばない、つまり答えないのがわかりません一派だよね、基本的には」。

K「うん、『どちらでもない』とか『わからない』という項目があったとしても、それも選ばない。アンケートに答えること自体をよしとしない態度なのだけど、『うるせえな、そんなこと知るか、関係ねーよ』みたいな、バカヤロー的でなげやりな態度とは違う」。

S「別役実は、『少女が、はにかみながらわかんない~って言うようなものに似ている』って・・・・」。

K「上手い表現だよね、はぐらかすとも違うんだけど。実際にはリンゴが好きかも知れないし、嫌いかもしれない、またはどちらでもないかも知れない。でも、アンケートに答えることによってそれが固定されてしまうことを嫌うとでもいうか、質問者側の敷こうとするレールに乗らないという感じかな」。

S「本当にわかりませんなのではなくてね。外側から何らかのレッテルを貼られたり、何らかのモノとして認知されることをいやがる」。

K「同時に、その答えが内側から自分を縛るのもいやがる。自己の外側に対しても内側に対しても、なるべく相対的でいたいんだよね、自由であろうとする・・・・」。

S「うん、リンゴが好きまたは嫌い、どちらでもないと答えてしまうことによって、そういう人として扱われたり、自らそういう人として振る舞ってしまうような状態を嫌う・・・・お互いに入れ替え可能なはい一派といいえ一派からすると、不気味な存在だよね、集団にならないし」。

K「そうね、政権交代とか革命って、大抵ははい一派といいえ一派が入れ替わることだからね。わかりません一派はそのままだとレッテル貼りずらいというか、正体不明になっちゃうから規定出来ない。つまり入れ替え不能。一見正体不明集団として括れそうなんだけど、相対化しようとする性格上、集団化しないというか徒党を組めないから、集まったとしても10人前後が限界で、結局それも個が集まっているという状態にしかならない」。

S「ほとんどの場合長くは続かないしな」。

K「うん、そうなんだけど、それも絶対とはいえない。例えば、今で言うと、アサンジのウィキリークスはいいえ一派としてレッテル貼られつつあるし、本人達の行動もいいえ一派的様相を呈してきてる。でも、アノニマスはわかりません一派だよね。まずもって正体不明だし、ハッキングする時の行動原理とか目的がよくわからないし・・・・でもけっこう長く続いている」。

S「ロックに応用すると、サイケと親和性が高い・・・・」。

K「そうね、サイケは、最初はわかりません一派として登場する。いいえ一派ではなくて」。

S「うん、大まかな括りになっちゃうけど、はい一派としてヒット狙いのメインストリームがあって、それに対するアンチ・テーゼとしてのいいえ一派でもなくて、全くの別物として登場する」。

K「はい一派からみれば、最初はいいえ一派に見えたかもしれないけど、全然違う。ドラッグ体験を音楽で表現するという行為は、ある意味でドラッグを相対化しようとすることだからね」。

S「ただ浸ってるだけでは表現出来ない。自分の中の暗闇から逃げるだけになっちゃう・・・・」。

K「そうそう、ドラッグやドラッグ体験を真剣に相対化しようとするってことは、それはもうわかりません一派だよね」。

S「そして同時に、はい一派たるメインストリームも相対化することになる・・・・」。

K「うん、思いがけず売れちゃって、はい一派に取り込まれる場合もあるけど」。

S「狂気以降のフロイドだな。だんだん取り込まれて行った」。

K「アニマルズまでは抵抗してたんだけどね。で、その線で行くとクリムゾンはリッパだよ。ある意味未だにわかりません一派だもの」。

S「そうだな、でも、クリムゾンていうよりロバート・フリップじゃないの?」。

K「ああ、そうか、そうだね」。

S「フロイドほどバカ売れはしなかったからかもだけど、それにしてもフリップはブレないよね」。

K「これだけビッグ・ネームになって、本人やバンドが神格化に近い祭り上げられ方しても、頑に相対化し続けようとしてる・・・・」。

S「クリムゾン=私ではない、クリムゾンは化け物のようなものだって言い続けてる。期待されるクリムゾン像のようなものに取り込まれまいとしているな」。

K「それはすごいエネルギーだよね。スターレスは俺の曲だとか言って、ハケットとかとライヴでやっちゃうウェットンなんかとは全然違う。21thセンチュリー・スキゾイド・バンドにも参加しないで、とにかく距離をおこうとする」。

S「ファン・サービスとしては、別にいいんだけどね。でも、それだけになっちゃうと・・・・」。

K「うん、それだけだと懐メロになっちゃう。ウェットンやハケットがライヴでクリムゾンやジェネシスの曲やってくれたら、概ねオーディエンスはうれしいだろうから、需要に応えるってことでのファン・サービスはいいんだけど。それが主たる目的になっちゃうと不健全だよね、演る側も聴く側も」。

S「でも、特に日本のプログレ・リスナーにおける、クリムゾンの神格化はすごいよね。泣く子も黙る的な枕詞でプログレの代表として紹介されて、誰もがひれ伏す王様みたいな扱いになっちゃってる。ファースト、太陽と戦慄、レッド・・・・」。

K「うん、これを聴かないとダメだみたいなプログレの権威になっちゃってる。絶対化ってやつ」。

S「そうそう、絶対的存在。まあ、プログレならおまかせあれっていう、プログレ・マニアを自称する人なら、そりゃあ聴いてないとダメだろうけどね」。

K「はははは、プログレ・マニアを自称するなら、3枚だけじゃなくて全部じゃない?」。

S「そうか、マニアならその3枚じゃ不足だな。でも、絶対化して存在が権威になるってことは・・・・」。

K「はい一派になることだよね」。

S「フリップにはその気がないのに、リスナー側がはい一派にしてしまう・・・・」。

K「ファンならそれでもいいんだよ、きっと。ファンて保守的なものだし、対象と自己を同一化することだから、相対化なんかしてたらファンでいられない」。

S「クリムゾンのファンを自称するなら、クリムゾンは全部好きってことだものな。絶対化して全部許して受け止める・・・・母の愛のようなものだね」。

K「うん、だからファンはそれでいいんだよ。でも、不健全なのは、クリムゾンに限らないんだけど、何やらプログレの権威として固定されちゃって、それならファースト、太陽と戦慄、レッドの3枚か、そのうちのどれかをとりあえず聴いとけばいいんじゃないのっていう風潮が、ファン以外のリスナーの間に生まれちゃうこと・・・・」。

S「フロイドの狂気とかイエスの危機みたいな感じね。代表作っていう枠組みで囲い込んじゃって、ガイド本とかであまり褒められてない、他のアルバムが無視されていく」。

K「ははは、エンクロージャー、排他性への第一歩ね。クリムゾンて、アルバムを制作する度に前作を相対化するっていうやり方でしょう、しかも本質はインプロ。だから基本的にサイケで、アルバム毎にサウンドが違うから・・・・」。

S「つまみ食いでどうにかなる相手ではないと」。

K「うん、聴いてみてつまんなかったらやめればいいけど、何かしら引っ掛かるものを感じたなら、それはもうどんどん聴いていくしかないよね」。

S「最初から自分にとってのアタリだけを引こうとせずにね。どうしたってその3枚だけでは済まない。でも、例えばエピタフや宮殿のような曲を期待して聴いていっても・・・・」。

K「そりゃあ大抵は見つからないよね、アルバム毎にサウンドが違うんだから。淡白にならずに、じっくり聴いていくタイプのものだとしか言い様がないんだよね。その時はピンとこなくても、数年後には自分の好みが変わってるかも知れないんだしさ」。

S「あぁ、そういうことは一般的にもあるよね、わりと。ましてクリムゾンは裾野が広いし深いものね。でも、ファーストとセカンドはわりと相似的なんじゃない?、あとディシプリン以降も・・・・」。


長くなったので、続きは次回へ。

プログレってどうなの? 5 ~ わかりません一派~キング・クリムゾン 2

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サード・イアーの密かな愉しみ~プログレってどうなの? 5

ーわかりません一派~キング・クリムゾン 2ー

以下、友人S、店主K。 


K「ディシプリン以降は後にするとして、セカンドは、ファーストと同じ時期に着想を得た曲が多いから、曲調とか似てる感じはあるんだけど、それでもやっぱりファーストとは違う事をやろうとしてる」。

S「というと?」。

K「う~ん、違う方向性に向かおうとしているとでも言うかな。まずもって、もうファースト的抒情性を追求しようとしてない。メロトロンの使い方も違うし、キース・ティペットを参加させてもっとインプロを持ち込もうとしてる。ギターはけっこうクラシカルだったりするし、ジャズとクラシックをサイケで括ってる感じなんだよ、上手くいってるかどうかは別としてもね。それは、マクドナルドやレイクが抜けた云々に起因するというよりは・・・・」。

S「フリップ自体の方向性がファーストとは違うと、なるほどね。で、ティペットは、この後アイランドまで参加するよね、あくまでゲストとしてだけど。フリップはメンバーにしたかったみたいね」。

K「うん、場合によってはグループごと参加してる。マクドナルドやレイク、ジャイルズ達がどうであれ、フリップはティペットとやりたかった。クリムゾンに必要だと思ったんじゃない?。リザードとアイランドなんて、ほとんどクリムゾンとキース・ティペット・グループの合作に近い」。

S「わりと無視されているよね、その辺。ファーストの抒情性とは全然違う情感だし、太陽と戦慄タイプのハードネスとも違うからね」。

K「そっちを基準にするから、ジャズ・ロック的でよくわかんない地味なサウンドってことになっちゃうのかな。サイケの精神に則ったわかりません一派ってことなら、クリムゾンの本質は明らかにこっちなんだけど・・・・ティペット自身の作品群も含めてね」。

S「そうね、正しくサイケなわかりません一派の暗さ。リザードやアイランドは、そういう英国的情感に満ちあふれてるよね」。

K「うん、とても心地好い。サーカス、リザード組曲、かもめの歌、アイランド辺りの美しさや、ハッピー・ファミリーやセイラーズ・テイルのカッコよさは、本当に素晴らしい」。

S「キース・ティペット・グループやセンティピード、オヴァリー・ロッジなどのティペットの作品群だって・・・・」。

K「素晴らしい、ジャズとか云々は関係ない。この人のピアノはいいよ、美しくてカッコいい」。

S「基本ジャズだけど、ロックのスピリットがあるよね」。

K「そうそう、でも、キース・ティペットは長くなるからまた改めてやろうよ」。

S「そうだな、ではアースバウンド」。

K「あぁ、カッコいいね、72年のUSツアー。もう解散状態で契約履行のためだけのツアーだったのに、何故か最初のピークの頂点」。

S「炸裂インプロの大爆発だよね、音質云々はこの演奏の前では問題にならない」。

K「色々聴いたけど、21世紀の精神異常者はこれが一番カッコいいな。ピオリアのボズやグルーンのウォーレスも凄い。セイラーズ・テイルがフェード・アウトしちゃうのは残念だけど・・・・」。

S「そうそう、まさにレッド・ゾーン、ず~っとブチ切れっぱなし」。

K「このライヴは、もうファーストとは全然違うバンドだよね」。

S「うん、エピタフや宮殿の抒情性は完全に相対化されている。フリップと他の3人の軋轢や溝とか、そんな文脈でばかり語られるけど、そうじゃない」。

K「ある種の変態じゃない?、メタモルフォシスのほうね。そして、太陽と戦慄に向けての72年後半のツアーで、また全然違うものに変態する」。

S「変態ね、いい表現かも知れない。同じ精神が核にあって、スタイルが大きく変化していく」。

K「そうだね。サウンドの変化が、ドラスティックというかダイナミックというか」。

S「でも一本筋は通っている」。

K「うん」。

S「で、太陽と戦慄からUSAまでなら・・・・」。

K「スタジオ盤なら暗黒の世界、圧倒的」。

S「断然そうだね、とにかく圧巻」。

K「突破口や暗黒の世界、人気ないけどね」。

S「この後、74年のUSツアーでしょう?」。

K「うん、アズベリー・パークのようなインプロが炸裂していた時期。73年後半のツアーから、暗黒の世界を挟んで74年のUSツアーまでが第2のピークだろうね」。

S「アズベリー・パーク、凄いよね。この74年のUSツアー中心のボックス・セットがリリースされるんだっけ?」。

K「うん、ライヴCD20枚にDVDAやBlu-Rayも加えた24枚組。ロード・トゥ・レッドだって」。

S「同じような感じの太陽と戦慄への道的ボックスは面白かったけど、全部聴くの大変そうだね、興味はすごくあるけど」。

K「ヴォリューム的にはちょっと過多だよね、全部ちゃんと聴くのには、けっこう時間がかかる・・・」。

S「一生かかるかも」。

K「はははは、それでもいいんじゃない。もし買ってしまったら、やっぱりもうしつこく聴くしかないよ」。

S「大量とはいえ、74年のUSツアーは気になるな、やっぱり」。

K「うん、気になる。この頃のインプロは凄まじいからね。悩ましいところ」。

S「第2のピークだからね。でも、クリムゾンはインプロ主体のバンドとして一般的に認識されてるの?。太陽と戦慄以降のほうが、スタジオ盤ですらむしろインプロ中心だと思うけど」。

K「そうだね、トーキング・ドラム、トリオ、突破口、暗黒の世界なんかは、ほぼ完全に丸ごとインプロだよね。他の曲もインプロ主体のセッションを重ねながら作曲している・・・・だけど、あまりそういう認識は一般的にはないんじゃないかな」。

S「何故なんだろう?」。

K「さあ、興味ないからかも」。

S「インプロに?」。

K「うん、わかりやすくないから」。

S「キャッチーじゃないってことか?」。

K「例えば、クリムゾンには、ある程度の毒とかえげつなさのようなものを求めてはいるんだけど、それはエピタフとか宮殿、21世紀の精神異常者、太陽と戦慄、レッド、放浪者とか辺りまでで、それ以上毒があったりダークだとキツいとか」。

S「あと、土曜日の本とか夜を支配する人々、風に語りてとかってこと?」。

K「ああ、その辺りもだろうね、かわりやすく奇麗だったり、カッコよかったりだからね。無論その辺りもいい曲には違いないけど、でも、繰り返しになるけど、クリムゾンはアルバム毎にサウンドが変態する希有なバンドの1つというか、様々な要素が混在する多様性のバンドだから、代表作とか代表曲とかってナンセンスなんだよ」。

S「それは、プログレ一般にもあてはまるるんじゃない?」。

K「そうね、プログレは本来幅広い音楽性を包括するジャンルだからね。何せブリティッシュだけで考えたって、フロイドやクリムゾン、ジェスロ・タルやファミリー、イエスやジェネシスが同じジャンルとして扱われるんだから。真逆とも言える多様なスタイルが混在している・・・・」。

S「全く違うものね、曲調からスタイルまで」。

K「うん、だからプログレのバンドって、結局多くは独立したわかりません一派で、それを外から勝手に集合として括ってる感じ」。

S「そうだね、必ずしもわかりません一派ばかりじゃあないけれど、わかりません一派は多いな。でも、せっかくの多様性を善とするジャンルなのに、代表作や代表的存在を作っちゃって、はい一派やいいえ一派として扱おうとしている」。

K「わかりやすくなるからね。でも、それじゃあポップスとして聴いてるのと同じになっちゃう。元も子もないというか、わざわざプログレとして聴く必要が・・・・」。

S「ないよね、まあどう聴こうが個人の勝手ではあるけど。洗練はあるけど変態のない、再生産される同じスタイルの繰り返し・・・・」。

K「そうそう、ウォール以降にフロイドが陥ったパターン」。

S「ディシプリン以降のクリムゾンもか?」。

K「基本的にはね。それ以前のようには変態出来なくなってる印象。ヴルームだけはちょっと突出してカッコよかったけど」。

S「あぁ、ヴルーム、いいね、ダブル・トリオ」。

K「ダブル・トリオの最初だからいいのかも。編成に無理があるもの」。

S「編成ですでにハミ出してるものね、各パートが複数いるって、どうしても歪みが・・・・」。

K「ツイン・ドラムってだけでも面白いことになるから、ベースとスティックも2人、ギターも2人だと・・・・」。

S「ある意味収拾がつかない、無理矢理になる。しかも最初だから本人達も面白がっている」。

K「そんな感じだよね」。

S「ディシプリン以降の3枚は、同じパターンの組替え再生産になっちゃって、94年の再編でダブル・トリオにして相対化しようとした」。

K「それがヴルーム」。

S「でもスラックとその後のツアーで、また再生産になっちゃった・・・・」。

K「うん、そうね。レッド以前を相対化したディシプリンと、ディシプリン以降を相対化したヴルーム以外は、同じパターンの組替え再生産に陥ってる」。

S「そのパターンが好きな人には、ある意味パラダイスかも知れないけどな。でも、フリップとしては・・・・」。

K「やっぱり不本意だったんじゃない?。だから、最後にはわざわざキング・クリムゾンにプロジェクトって付けて、名前まで相対化しようとした」。

S「キング・クリムゾン・プロジェクトね。印象としてはアイランドやリザードの頃の情感に近かったな」。

K「そうね、メル・コリンズがいるし、ジャッコのボーカルは柔らかいからね。でも、ノー・マンとかスロウ・エレクトリックとかの、いわゆるティム・ボウネス的情感のほうが近いんじゃない?」。

S「なるほど、そっちで相対化しようとしたのか」。

K「うん、ブリティッシュ的哀愁のあるいいアルバムなんだよね。でも、相対化は上手くいってない・・・・」。

S「だから引退・・・・」。

K「多分ね。もう無理だって思ったのかも知れない」。

S「いい歳だしね、もう十分な気もするし」。

K「でも、今後も何かしら発掘音源的なものは出す気あるんじゃないかな」。

S「あくまで現役引退だからな」。

K「これからも、リスナーには悩ましいものが出てくると思うよ」。

S「ティペット時代とか・・・・」。

K「音源は勿論、もし映像とか出たら凄いことだね」。

S「期待しないで、待つとしよう」。

K「はははは、期待しないでね・・・・」。



・・・・次回、著名所絡めたプログレ最終まとめの予定。

プログレってどうなの? 6 ~ イエス的ハードネス

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サード・イアーの密かな愉しみ~プログレってどうなの? 6

ーサイケの亜流としてのプログレの死 1~プログレの定型としてのイエス的ハードネスー

以下、友人S、店主K。 


S「以前にさ、サード以降のイエスはすでにプログレじゃないって・・・・」。

K「うん、基本的にハード・ロックだと思うよ。ジョン・アンダーソンのクリアーな声やブルース色の薄い楽曲は不良色がないから、いわゆる巷のハード・ロックの定型イメージにあてはまらないだけ。勿論プログレ色はあるけどね」。

S「なるほど不良の香りね、確かにしない。でも、スティーヴ・ハウの高音の効いたギャンギャン系のギターのヤカマシさや、クリス・スクワイアの弾きまくるベースのドライヴ感なんか・・・・」。

K「どう聴いてもハード・ロックだよ、それにビル・ブラフォードのタイトなタイム感のドラムも」。

S「南の空や燃える朝焼け、シベリアン・カートゥルとかね、そう捉えるほうが自然だな」。

K「天国への架け橋やザ・フィッシュ、同志とかも、ハード・ロック・バンドのやるアコースティックやサイケ&プログレって感じなんだよ」。

S「天国への架け橋、名曲だよね、短いけど。同志は響きが心地好いし、ザ・フィッシュの多重ベースはサイケでカッコいい。ところで、ファーストとセカンドは、CSN&Yとかバッファロー・スプリングフィールドの影響が強いと思うけど」。

K「うん、他にもバーズ、サイモン&ガーファンクル、あとやっぱりビートルズじゃない?」。

S「ああ、カヴァーしてるものね、リッチー・ヘヴンスも。単に好きってだけじゃないよね、明らかに影響を受けている」。

K「コーラス・ワークなんかモロにCSN&Y的。曲作りやオーケストラの使い方はリヴォルバー以降のビートルズ的で、メロディはポール・サイモン辺りからの・・・・」。

S「そうそう、アメリカのアーティストからの影響が強い。だから、シングル・ヒット狙いってわけじゃないけど、初期イエスは基本ポップだよね、メロディアスで聴きやすい。でも、バーズやCSN&Y辺りが好きってことは当然・・・・」。

K「ドラッグ絡みになる。スクワイアやアンダーソンは勿論、全員当然通ってるんじゃないかな。まあ、ポップなのは初期に限らないけど」。

S「うん、つまり初期2枚のポップネスはサイケの香りがある。けど、サード以降は薄くなっていく・・・・ハウなんかも前歴からするとバリバリなんだけど・・・・」。

K「トゥモロウとボダスト、完全のその筋のテクニカラー・サイケ系だからね。でもトゥインクによると、当時からハウは浮いてたし目立ってたみたい。カントリー調のものすごい速弾きする変なギター小僧がいるって・・・」。

S「ギターがドラッグそのもの的なタイプ。とにかく弾くのが好きで一日中ギター抱えてる上手い人」。

K「そんな人いるね、まさにギター小僧。だけど、スクワイアとアンダーソンは、わりと早い時期からドラッグ抜きの方向を模索してたんじゃないかな」。

S「つまり、ドラッグ絡みでインプロやるとムラが出る・・・」。

K「うん、ドラッグ絡みじゃなくても、基本的にインプロは2度と同じ演奏にならない。ツェッペリンみたいにそれがカッコいいバンドもあるけど。でもイエスはそうじゃなかったんだよ、きっと。アンダーソンはインプロが苦手だったろうし、トニー・ケイとピーター・バンクスはムラが大きかったんじゃない?。それなら、構成とアレンジをガッチリ決めちゃって演奏のボトム・アップを計ろうと・・・・」。

S「なるほど、作曲段階からインプロを排除する方向。セカンド以前とサード以降の間にある深いミゾだね。バンクスが抜けちゃって、でも上手い具合にハウが加入して・・・・」。

K「その方向性が決定的になった、そしてケイもやめちゃう」。

S「ケイは、オルガン以外弾きたくないとかでクビになったって話もあるけど、別にピアノとかも弾いてたよな」。

K「ア・ヴェンチャーとかね、隠れた佳曲。それにバジャーでは伸び伸びとメロトロンなんかも弾いてるし、多分、スクワイアとアンダーソンのガチガチ路線がイヤになったんだろうね」。

S「そうだな、そしてリック・ウェイクマンが加入して、巷で言われるプログレの代表格としてのイエスになる」。

K「だから、ハード・ロックだって・・・・」。

S「わははは、こだわるね。あくまで巷で言われるプログレってことでさ。で、サード以降なら?」。

K「う~んサード以降か・・・・トータルでの出来のよさならリレイヤーかな。トゥ・ビー・オーバーはおいといても、錯乱の扉とサウンド・チェイサーはちょっと異常というか、尋常じゃない」。

S「ああ、パトリック・モラーツ。あのアルバムは凄いな、危機を超えている」。

K「うん、危機は無理無理な部分が多いからね、そこが面白いところでもあるけど、ともかくも同志の美しさで救われてる。リレイヤーは、無理が無理じゃなくなってるというか、スッキリとクリアーなのに濃密で、演奏の凄さはやっぱり尋常じゃない」。

S「モラーツだから可能だったってところもあるのかな。ヒャラヒャラ系のウェイクマンだと・・・・」。

K「この重厚な構成は無理だったろうね。ウェイクマンのキーボードは華麗だけど装飾的だから、楽曲の根幹に深くはコミットしない」。

S「うん、お客さん的だものな、いつも。特に海洋地形学の物語なんか、あまりやる気ない感じだったし」。

K「他のメンバーがベジタリアンになったのに、1人だけ肉をパクついてるとか・・・・」。

S「はははは、そんなこともあったみたいね。でも海洋地形学は巷では評価低いようだけど、売れちゃった危機の次で、ブラフォードも抜けちゃって、サードから危機までを相対化しよとしたというかさ・・・・」。

K「そうそう、危機路線を相対化して別のことをやろうとしたんだろうね。必ずしも上手くはいってない感じだけど」。

S「かったるいとか、どう聴いていいかわからないって意見が多いけど・・・・」。

K「前半の3曲は、4曲目の儀式で盛り上がるためにあると考えればいいんじゃない?」。

S「そりゃ長いイントロだね、前半の3曲もわりとサイケで悪くはないんだけどな」。

K「うん、悪くないけど、やっぱり長過ぎるんだよ。長過ぎて散漫になっちゃってる。ウェイクマンだけじゃなくて、スクワイアもあまりノッてない感じなんだよね」。

S「アンダーソンはのめり込んでる感じがする。彼主導だったんだろうな。スクワイアのコミットが浅いから散漫になっちゃった」。

K「多分ね。プロデュースがゆるいって感じ。その意味では惜しいけど、それまでの成功した路線と違うことを新たに試みたってことで、面白いし悪い作品ではないよ」。

S「そういえば、アンダーソンはソロでも海洋地形学の前半みたいなことやってたな」。

K「サンヒローのオリアス?、確かに同じような散漫さ加減だね」。

S「それに比べ、スクワイアの未知への飛翔は素晴らしい」。

K「あぁ、あれはカッコいいね」。

S「イエスじゃないんだけどほとんどイエスというか、ボーカルがアンダーソンじゃないイエスというか、イエス的なるものの坩堝・・・・」。

K「うん、イエスの中核はスクワイアが担ってると認識させられるし、それは別としても濃密で文句なしの傑作だよ」。

S「あと、アラン・ホワイトやモラーツのソロもよかった」。

K「ホワイトのはプログレではないけどね、元リフ・ラフのメンバーとかがいていい味だしてるよ。スワンプ&ブルース系の好盤。モラーツのストーリー・オブ・アイは、ブラジリアン・パーカスが凄い」。

S「うん、ジェフ・バーリンとかアルフォンス・ムーゾンとかがいて、バカテク系としてまともにカッコいいな。でも、このリレイヤーとそれに続く74年~75年のツアー後、ちょっとお休みしてリフレッシュしましょうって意味での、各メンバーのソロ作品だったみたいだけど、結局そのままモラーツが抜けちゃうよな」。

K「そうね、サイケの亜流としてのイエスの終了」。

S「結局、究極以降はそれまでのパターンの再生産に陥ってしまった。しかも妙にキャッチーで、さらにはベジタリアンをアピールしてイメージ戦略も計り出す・・・・」。

K「究極やちょっと異質なドラマ、90125のロンリー・ハート以外なんかも、普通にカッコよかったりするんだけど、もう異常さがないんだよね。しかも縮小再生産だからどうしても洗練されたポップネスが支配的になって行く。ベジタリアン云々も音楽と関係ないよね、どうでもいい」。

S「究極以降は逆にハード・ロックじゃなくて、ある意味巷で言うところのプログレの定型なんだけどな。でも、だからこそ、まさにプログレが死に体になって行く時期でもあるということか」。

K「う~ん、死に体というよりは、やっぱりもうすでに息の根は止まってる気がする。モラーツの抜けた穴に、ウェイクマンが出戻っちゃダメだよ」。

S「はははは、そうだな、新たな発展性がないものな」。

K「次回はジェネシスやって、そろそろ終わらさないと・・・・」。

S「うん、了解」。

プログレってどうなの? 7 ~ ガブリエル期のジェネシスとまとめ

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サード・イアーの密かな愉しみ~プログレってどうなの? 7  

ーサイケの亜流としてのプログレの死 2~プログレの定型としてのジェネシス的情感~ガブリエル期のジェネシスとまとめー

以下、友人S、店主K。 


S「ジェネシスは好きだな」。

K「ていうよりピーター・ガブリエルじゃないの?」。

S「あぁ、そうか、そうだな。ガブリエルが好きだ」。

K「別に言い直さなくてもいいよ。で、どの辺り?」。

S「ソロならサード、でも全般にOKだな。ジェネシスなら月影の騎士とデューク・・・・あれ?」。

K「ははは、ガブリエルじゃないのも混じったね、まあいいけど」。

S「ジェネシスは、一般的にはガブリエル在籍時に人気が集中するよな。未だにジェネシス=ガブリエルのイメージが強い」。

K「そうだね、怪奇骨董音楽箱やフォックストロット、月影の騎士辺り。でも、ギターとキーボードで美しいアルペジオを重ねて分厚いアンサンブルを構成するという、いわゆるジェネシス的サウンドって、元々はアンソニー・フィリップスが編み出したものだよ」。

S「フィリップスが中心となって、マイク・ラザフォード、トニー・バンクスの3人だな」。

K「まだフィリップスがいる侵入には、その後のジェネシスの要素がほとんど顕われている。スティーヴ・ハケットの変テコなギターは除いてね」。

S「ガブリエル期のハケットのギターは、わりと装飾的だものな。イエスのウェイクマンに立ち位置が似ている・・・・」。

K「うん、楽曲に深くコミットしないという点で似てるね。トリック・オブ・ザ・テイルと静寂の嵐で主張を始めて、ソロ作品群は皮肉にも最もジェネシス的情感を継承してるけど」。

S「定型化されたジェネシス的情感の再生産なんだけど、待祭の旅からディフェクター辺りまではすごくいいな」。

K「確か、突然レコーディングに来なくなって、そのまま辞めたんだよね」。

S「キム・プーアがそそのかしたんじゃないのか?、あなたは才能がある、ソロでやるべきよ、スリーヴは私にまかせてって」。

K「わははは、ありそうな話だね。ブルース出身なんだけど、ジェネシスでは全くブルースを使わず、クラシックや変わった音色・奏法に傾倒して、結局どれも中途半端。でもそれが味になって結果としてカッコいいという・・・・」。

S「面白いギタリストだよ、いつのまにかジェネシス的情感も身につけたしな。で、話を戻すけど、侵入は巷での人気も評価も妙に低くないか?」。

K「まあね、期待されるジェネシス的情感ってやつが薄いからじゃない?。でもとてもよいアルバムだよ、青臭いけど嘘がない。ハタチそこそこの悩める青年像がセキララに露になってる」。

S「暗くてくぐもっていて、正しくサイケだよな。しかも美しくて重厚で、何の定型にもハマっていない」。

K「そうだね。侵入の頃のジェネシスはフィリップス中心のバンドだから、怪奇骨董音楽箱以降とは違う情感なんだよね。彼のナイーヴさとか内省感、線の細さが根幹になってて、そこにカブリエルの共感もある・・・・」。

S「なるほど、それを踏み台にして、その後のジェネシス的情感がスタイル化されていったと言えるのか。でも、フィリップスはともかく神経質だったらしいな」。

K「うん、フィリップスは基本的に人前に出るのが恥ずかしくて、結局は侵入のリリース前に辞めちゃう。4年程引きこもって和声の勉強してからソロ活動を始めるんだけど、未だにライヴはほとんどやらないものね」。

S「当時のライヴでは曲ごとにチューニングして、しかも12弦だったりすると時間がかかる。それで間を持て余したガブリエルがコスプレして寸劇を始めたとか」。

K「そういう通説あるね。でも、ガブリエルのコスプレにはもっと他に理由があったんじゃないかな」。

S「ほほう、と言うと?」。

K「正確にはわからないけど、ガブリエルがコスプレや寸劇を本格的に始めたのはフィル・コリンズ加入後で、フィリップス在籍時は少なくともコスプレはほとんどやってないはずなんだよね、勿論剃り込みも。で、確かに最初のキッカケとしてはチューニングの間を繋ぐ的な側面もあったんだろうけど、何よりバンドの内側からバンドを相対化しようとしたんじゃないかな?」。

S「つまり、あのキテレツな着ぐるみやコスプレは照れ隠し的な要素があるってこと?」。

K「ある意味照れ隠しでもあるかな。コリンズが入って、バンドの演奏は飛躍的に向上してさ、楽曲も洗練されて、ジェネシスはいわゆるプログレとしてどんどんカッコよくなっていったよね」。

S「それがイヤだった、または恥ずかしかったのか」。

K「屈折してるけどね、そうだったんじゃないかな。フロントマンとしては、それに乗っかってスターになるか、キテレツなカッコしてバランスとるかの二者択一的な・・・・」。

S「絶対的存在か相対的存在かの選択」。

K「はい一派かわかりません一派かの選択でもある。あのコスプレは1人サイケだよ」。

S「なるほど、スターである自分をよしとしない、相対化しようと。で、わかりません一派でいこうとしてたのに、逆にそのコスプレもウケ出して、幻惑のブロードウェイの頃にはうっかりスターになっちゃって、気がついたらはい一派になっていた。でも、長女や不倫のこともあって脱退して、やっぱりわかりません一派に戻ろうと・・・・」。

K「その頃はバンド自体がはい一派一直線だったしね。わかりません一派に戻るなら、もう辞めるしかない」。

S「それなら、他のメンバー達がコスプレを嫌がっていたのも頷けるな。はい一派には理解不能だもな、意味不明」。

K「そんな風に流れを追っていくとさ、やっぱり73年~75年頃には、少なくともブリティッシュにおけるサイケの亜流としてのプログレは息絶えたんだよ、わかりません一派が主流だったプログレの死」。

S「それ以降は別物ということだな、はい一派が主流のプログレ・・・・」。

K「うん、それはポップスの亜流としてのプログレだよね。サイケの亜流としてのプログレとは根本的に違う」。

S「それまでのプログレの死であり、新たなプログレの誕生でもあるわけだ。狂気や危機、月影の騎士なんかがバカ売れしちゃって、プログレの定型が出来てしまったんだな」。

K「本来定型なんてない、何でもありでゴッタ煮の状態からバカ売れするモノが生まれて、それがジャンルとしての定型になる。フリップの言う魔法の扉が閉じちゃったんだよ」。

S「定型以外が淘汰されていくわけだな。多くのリスナーがその定型を求めるようになり、レコード会社もプロダクションも当然その方向になる」。

K「うん、皆で揃って保守化していった、アーティストもリスナーも含めてね。まあ、魔法の扉が開くなんてのは、ビジネス基本で考えると異常な事態でもあるわけだし、当然その反動は起きるわけで、オイル・ショックやベトナム戦争の終息とかもあって、結局普通の状態に戻っていったって感じだろうね」。

S「だから、73年~75年頃からポンプを経て現在に至るプログレの主流は、フロイド、クリムゾン、イエス、ジェネシス、ELPの5大バンド+カンタベリー辺りと言った狭い範囲のビッグ・ネームの定型に、結局は収束していきがちになってしまうと・・・・」。

K「そうね、リスナーの多数派がそれを期待する限りは、そのビッグ・ネームの本人達も含めて基本的に定型プログレの縮小再生産になっちゃう。それは、それだけ当時のビッグ・ネームが偉大だということでもあり、後の世代は勿論、本人達だって中々超えられないということでもあるよね。でも、ポップスの亜流としてのプログレにだってカッコいいものは沢山あるし、別に良し悪しの問題じゃないんだよね。かなり少数になったとは言え、わかりません一派でやろうとしてるプログレだって未だに存在してるわけだしさ」。

S「別物として両方楽しもうと、但し辛抱強く」。

K「うん、淡白にならずにね、そして幅広く」。

S「巷で評価の定まったもの以外にも・・・・」。

K「・・・・面白いものはいくらでもある」。

S「ところで、ガブリエルの新作、楽しみだな」。

K「フリップもクリムゾンを始動するらしいよ」。

S「それも楽しみだ」。

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