カートをみる ご利用案内 お問い合せ サイトマップ
RSS
 

サード・イアーの密かな愉しみ〜サード・イアー・バンドとフランコ・バッティアート 2

サード・イアーの密かな愉しみ〜わかりません一派プログレ 1


ーサード・イアー・バンドとフランコ・バッティアート 2ー

以下、友人S、別の友人N、店主K。 

S「で、バッティアートだけど、78年のジューク・ボックスまではサード・イアー・バンドみたいなのか?」。

K「う〜んとね、サウンド的に一番近いのは73年のサード、スッレ・コルデ・ディ・アリエスかな。最も中世的で暗い。ファーストの胎児とセカンドの汚染も近似性はあるけど、サード程じゃない。フォースのクリック以降はまた別物で、音響系やエレクトロニクス系的な要素が・・・・」。

S「けっこう変遷があるんだな」。

N「胎児とか汚染て、何かパンクっぽい」。

S「はははは、そうだな。サウンドはどんな感じなの?」。

K「ファーストは、地中海音楽、クラシック、ポップス、エレクトロニクスをサイケで括った感じで、カット・アップ・コラージュ手法がさらにゴッタ煮感を増長させてる。民族音楽やオペラ、賛美歌的メロディが飛び交い、電子音やシンセがSE的に吹き荒れるかと思えば、乾いたアコギがカラっと鳴り響いたり。セカンドも概ね同路線なんだけど、曲によってはバンド感の強いセッション色やアシッド・フォーク色なんかもあって、わりとジャーマン・クラウト的だったりもする」。

N「つまり、前衛的ってこと?」。

K「そうね、基本的にはアヴァンギャルドといっていいと思うよ。でも、意外にポップというか、小難しさはないよ。ハっとするような美しいメロディがあったりするし、変態感は十分だけど奇をてらった感じはない」。

S「耳とセンスで勝負してる感じか?」。

K「うん、ある架空の世界が展開されているというか、音に世界観があって、バッティアートの存在もリアリティを持って感じられる。というのも、バッティアートはシチリアの生まれだから、きっと地中海音楽には浸かって育ったろうし、クラシックやカンツォーネのようなポップスも好きなんだと思うよ、勿論エレクトロニクスもね。で、それらにただ耽るのではなく、相対化しようとしてる。その意味でもサード・イアー・バンドと共通するし、わかりません一派といえるんじゃないかな」。

S「サード・イアー・バンドはクラシックとライリーを相対化しようとしてるしな」。

N「好きなものだからこそ、相対化して咀嚼するのか」。

K「そうしないと、大抵の場合単なる模倣に陥っちゃうからね」。

N「でも、それなら、近似するのはこの2つだけじゃないんじゃない?、ある意味サイケの亜流としてのプログレは・・・・」。

S「ほとんどそうだよな、だからこそわかりません一派なわけだし」。

K「うん、その通りだね。でもこの2つは、どちらかを聴いてるともう一方が聴きたくなるんだよね、あくまで個人的な感覚なんだけど。正体不明の民族音楽色が引き合ってるのか、相対化のセンスが似た者同士なのか、到達したサウンドは必ずしも同じ種類ではないんだけど、何ていうか架空の世界観が同系統って感じでさ」。

S「古代と中世の香りが入り交じってる感じか?、ある意味SF的な」。

K「うん、バッティアートだと特にサードはそうだね。オーボエやギター、マンドーラなんかが入る4曲目の東から西へなんて、ほとんどサード・イアー・バンドだもの」。

N「いい曲なの?」。

K「あぁ、名曲だと思うよ。幻想的で哀しくて美しい、アースみたいな感じ」。

S「全曲そんな感じなのか?」。

K「いや、全4曲なんだけど、他の3曲はエレクトロニクス中心の前衛的音響系って感じで、室内楽的響きの東から西へとは趣が違う。基本的にミニマル色が強いんだけど、ギターやチェロ、サックス、パーカス、プリペアド・ピアノや女性ソプラノなんかもコラージュ的に鏤められていて、やっぱりジャーマン・クラウトに通じるセッション感もある。でも、不思議と東から西へとの違和感はないんだよね」。

N「それはきっと、全体が同じ世界観だからなんじゃないか?。同じ世界の中にヴァリエーションとして成立してる」。

K「上手いこと言うね、多分それで正解かも」。

S「4枚目以降は?、さっき音響・エレクトロニクス系って言ってたけど」。

K「うん、基本的にミニマル色が強い。フォースのクリックとフィフスのメッレ・レ・グラディエーターは、エレクトロニクス空間に人声やピアノ、マンドリン、ラジオ放送や環境音、教会オルガンなんかの様々なノイズ・フラグメントを、変調させたりしながらコラージュしたサウンドで、ホルガー・チューカイのソロ諸作品辺りに通じる感じの・・・・」。

N「ホルガー・チューカイって、カンの?」。

S「そうだよ、カンとも近似するのか?」。

K「いや、サウンド的にはカンとは違うな、バッティアートはバンド感が云々といったものではないし、カンはやっぱりバンドだから。でも、70年代後半のカンでチューカイがやっていたようなラジオ・コラージュとかは似てる」。

S「かなり意外、80年代以降のバッティアートからは想像できないな」。

K「とても面白いよ、エレクトロニクス音響作品としてかなり上等。そしてセクスのZaとセヴンスのジューク・ボックスは、ピアノと女性ソプラノを中心としたミニマル・チェンバー的サウンドだよ。この2枚のアコースティックな響きや佇まいも、ダークではないけどサード・イアー・バンドに似てるかな」。

N「ダークではないって、明るいの?」。

K「う〜ん、明るいっていうより、ダークではないって感じ。室内楽的なクラシック感とキラキラした地中海音楽色の独特の融合なんだけど、しつこくないというか映像的というか、とても淡くてサティのようなエレガントさもある」。

S「それは面白そうだな」。

N「すぐにピンとくるイメージではないけど、興味はある」。

K「ジューク・ボックスでは、曲によってはコーランを読んでるようなアラビックな男性ボーカルも入って、とにかく妙なマッチングなんだよ」。

S「今も現役だよな」。

K「そうだね。近年のはあまり聴いてないけど、90年代始めの頃のコメ・ウン・キャメロ・イン・ウナ・グロンダイアやギルガメッシュとかもいいよ」。

N「ああ、オーケストラをバックに淡々と歌うやつ」。

S「お、知ってるのか?」。

N「クラシカルなのは好きだからね、あれいいよね」。

K「ジュスト・ピオとかが絡んでてね。特に、コメ・ウン・キャメロ〜の4曲目とか素晴らしいよ、でも廃盤なんだよね」。

S「廃盤といえば、再編サード・イアー・バンドもほとんど全滅だよな」。

K「うん、残念ながらほぼダメだね。カタログ上残ってるのもあるけど、オーダーしても入荷しない。スウィニーを中心に、ミンスとスミスが復帰してたり、リン・ドブソンが加入してたりで、かなり面白いんだけど・・・・」。

S「再発を待つしかないよな」。

N「デッドストックとかは?」。

K「いや、全然見つからない、難しいよ」。

S「ははは、やっぱり待つしかないよ、いつ頃かはわからんけど」。

N「そんなものなのかな」。

K「まあ、廃盤は残念ではあるけど、現状で聴けるものがあるわけだしさ、そこからでいいんじゃない?」。

S「そうだな、聴けるものから・・・・」。

N「ゆっくりと」。


サード・イアーの密かな愉しみ〜サード・イアー・バンドとフランコ・バッティアート 1

サード・イアーの密かな愉しみ〜わかりません一派プログレ 1


ーサード・イアー・バンドとフランコ・バッティアート 1ー

以下、友人S、別の友人N、店主K。 

S「サード・イアー・バンドってさ、プログレなのかサイケなのかって話もあるけど、いずれにしても典型的なわかりません一派って気がする。クラシックの教育を受けたんだけど、クラシックの枠が窮屈になってハミ出しちゃったって感じだよな」。

K「うん、リーダーでパーカスのグレン・スウィニーはフリー・ジャズ畑で、オーボエのポール・ミンスとヴァイオリンのリチャード・コフはクラシック畑。クラシックを相対化しようとしたという意味でも、わかりません一派と言える。スウィニーによると、『テリー・ライリーの東洋的ドローンにルネッサンス的装飾を施す試み』てなことだから、サイケでもありサイケの亜流としてのプログレでもあるよね」。

N「ライリーは、ミニマル・ミュージックだよね?、サード・イアー・バンドってミニマル?」。

S「その要素はあるな」。

K「あるけど、そうとは言い切れない。相似リフを繰り返すというミニマル的手法を使ってはいるけど、カッチリした譜面なんかないだろうしドローン感が強いからね。それにライリーもミニマルの中では異端だったりするし」。

S「両者とも、やっぱりドラッグの香り、サイケだよ」。

N「それは何となくわかる。スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスとは違う・・・・」。

K「うん、クラシック系のありがたい洗練感ではないからね。共通項はアンダーグラウンドな妖しさと、インプロをやるってとこかな」。

S「東洋的というより、中世古楽的な香りだけど・・・・」。

K「東洋的ってのは、インドのラーガを参考にしたって意味なんじゃない?。スウィニーは『アシッド・ラーガのヴァリエーション』とも言ってるから。サウンド的には中世古楽色が強いね、古代の香りもする」。

N「中世古楽って、例えばデヴィッド・マンロウのような?」。

K「いや、マンロウの古楽コンソートは基本的にはクラシックとして扱われるような範疇のもので、ドラッグの香りはないよね。だけど、彼等が参加したシャーリー&ドリー・コリンズやヤング・トラディションのアルバムは、古楽トラッド的なサウンドに仕上がっていて、アシッド・フォーク色があって素晴らしいよ」。

N「それは面白そうだ、トラッドを古楽的にやってるってこと?」。

K「うん、独特の美しさと佇まい。でも、長くなるからそっちはそっちで改めて別の機会にやろうよ」。

S「はははは、そうだな。で、サード・イアー・バンドは、基本インプロなんだろう?」。

K「そうね、オーボエやヴァイオリンを重ねてたりする場合もあるけど、概ね本人達自身も着地点の見えないインプロが核になってるように聴こえるね。レコーディング中にもセッションしてたみたいだから」。

N「セッションしながらレコーディング?、完成形を決めないまま?」。

K「そういうことになるね。インプロ主体だとそういう手法になるさ、スタジオでライヴやってるような」。

S「ファーストの錬金術はまさにそんな感じ。確かゲットー・ラーガとドゥルイド・ワンは映像があるよな」。

K「ああ、70年のビート・クラブね、曲名は違ってるけど。スウィニーがドラムでポール・バックマスターがベース弾いてるやつ。最近ロスト・ブロードキャスト・シリーズでリリースされたね」。

S「インプロなのでスタジオ盤とは違うものになってるけど、かなりカッコいい」。

K「編成も違うからね。でも、特にドゥルイド・ワン(ドゥルイド・グロッキング)、あれは凄いね。サイケな画像処理がジャマだけど、演奏は文句なし」。

N「サイケな画像処理って?」。

S「ビート・クラブでよくある、ポスタリゼイションさせて滲ませるパターン」。

N「ああ、顔とか手元とかわかんなくなるやつ」。

K「まあしょうがない、そういう時代だから。でも、未発表曲のハイド・パークも面白いよ、ダルいけど」。

S「ゆるゆるのアシッド・フォークみたいなやつだな、ボーカル入りの」。

N「ボーカルが入る曲もあるのか」。

K「うん、少ないけどね。サードのマクベスまでは基本インストだけど、オクラ入フォースの72年のメイガスは基本ボーカル入りだよ」。

N「どんな感じなの?」。

K「そうだな、ホークウインドがアシッド・フォークやってるようなとでもいうか、ゆるゆるで変テコ」。

S「マクベスまでとはちょっと趣が違うよな、中世古楽色は薄い。でもサイケ色満点で楽しめる」。

K「妖しさはそのままだからね」。

S「ボーカル曲はマクベスにも1曲あるよな、子供が歌う曲」。

K「劇中歌フリーンスね、あれは美しい。歌ってるのは子供の俳優。映画では、後ろで伴奏するメンバー達の姿も観れる」。

N「あれ、メンバーなんだ、一瞬映る妖しい奴ら」。

S「うん、そうだよ。映画は知ってるのか?」。

N「ポランスキー監督は好きだから」。

K「ロマン・ポランスキー、いいね」。

N「フランティックやナインス・ゲイトとかもいい。必ず変テコな奴が出て来たり凝ったシーンがある。マクベスは、あの灰色の空気感が素晴らしい。古来末期のスコットランドのどんより湿った感じ」。

S「あの生きるのが大変な感じ、リアリティあるよな、ある意味変態だよね彼も。サード・イアー・バンドの音楽もよく合っている」。

N「お店の名前にもしてるけど、サード・イアー・バンドは好きなの?」。

K「うん、全てではないけど、聴く頻度はかなり高いね」。

S「よく聴くのは?」。

K「最近はセカンドかな、通称天地火水」。

N「どんな感じなの?」。

K「う〜ん、パーカス、オーボエ、ヴァイオリン、チェロの四重奏が基本なんだけど、呪術的ドローン・インプロとでもいうかな。エア、アース、ファイア、ウォーターの古代ヘレニズム的四大元素をモチーフにした4曲で、確実に空気の色と時間の流れが変わる・・・・」。

S「名盤と言っていいんじゃないか?。演奏は上等だしイメージも濃密で豊だよ。巷では、知名度のわりには評価が低いようだけど」。

N「イメージが濃密って?」。

K「エアの、ヴァイオリンとチェロの吹き荒れる感じとゆらぎはまさに風、アースのオーボエの昂揚感や全員で螺旋を描きながら上昇していく感じは、春に芽吹いて夏に成長し、秋に落葉して冬に耐え、春に再び芽吹く植物の生命活動のような・・・・」。

S「まさに地だよな、生命の躍動と盛衰。とても美しい名曲だよ」。

K「うん、素晴らしいね。ファイアは、最もドローン感が強いんだけど、ヴァイオリンとチェロとオーボエの微妙なゆらぎは、まさに蝋燭や焚き火の炎。ウォーターは、ヴァイオリンとチェロのせせらぎの中に、オーボエの渦が浮かんでは消えてゆく・・・・まさに水だよ」。

N「ふ〜ん、それは面白そうだ、よさそうだね」。

S「最初に聴くのには適してるかもな」。

K「そうだね、最も聴きやすいかも」。

S「ところで、サード・イアー・バンドとフランコ・バッティアートって、意外な組み合わせだな?」。

K「う〜ん、案外そうでもないんだけどね。初期のバッティアートはサイケだから」。

N「へ〜、そうなんだ。バッティアートっていうとイタリアのポップスってイメージだけど・・・・」。

K「うん、それも正解。でもそれは79年以降。78年のジューク・ボックスまでは全然違うんだよね」。

S「・・・・宴もたけなわだけど、続きは次回にしないか?」。

K「あ〜、そうしよう、長くなったね」。

N「ふふふ、いつものことだろう?」。